いろいろな人間模様が見え隠れしています。人間関係で何が最も大切なことか と言えば人を認めるということだったのです。
人間関係のむずかしさ
人は悦びと幸せのために生きています。
進歩と向上があっての悦びであり、幸せですね。
そのためにこそさまざまな人間関係があると思ってみませんか。
このさまざまな人間関係が進歩と向上をもたらします。
かけがえのない愛する人を幸せにしたいから、人は一生懸命働きますし、愛する人に喜んでもらいたいから色々と頑張ります。
また、自分を愛してくれる人のやさしさ、温かさがあればこそ、私たちは勇気づけられ、支えられて生きる力が出てきます。
しかし、そうした人間関係だけですと人生は完全ではありません。
自分にとって都合の悪い、嫌な人間関係も不可欠です。
むしろ、人生を振り返ってみますと、つらく苦しい人間関係が自分にとってかけがえのない出会いであり、出来事であったと思えるほうが多いのです。
「あの人とのつらい体験があればこそ・・・」「あの出会いのお陰で・・・」。
こうした体験は誰しも一つや二つはあるでしょう。
人間関係のなかで、人はさまざまな姿、形で現われます。
あたたかくやさしい慈愛に満ちた人として、やさしいけど厳しく怖い存在として、あるいは情けない自堕落の人として、あるいは傲慢で人を小ばかにする人として、まさに千差万別さまざまです。
ここに人間関係の難しさがあります。
自分にとってやさしくて温かい人ばかりだったら、どんなにか人生が楽しくてバラ色でしょう。
さまざまな人間関係があるということは、私たちにさまざまな楽しみ、喜びとさまざまな苦しみ、困難をもたらします。
ここにこそ、私たちが生きていく上での大きな意義があります。
人間探求−短所と人間関係
欠点を変えるということは、いままでの人生を否定することをも意味します。
つまり欠点を否定するということは、その人そのものを否定するということにもなりかねません。
欠点は現われている事象の奥に、その人の心の傷や、落胆などが隠されているかも知れないのです。
不用意に欠点を取り除こうとして、心に抑圧をかけると新たなストレスがその人を苦しめます。
特に子どもを良くしたい思いで、その子の欠点を強く指摘することはいい結果を出すとは思えません。
その人のそのままを受け入れる努力が、親しい人間関係を作っていくうえで大切です。
そして欠点の奥に横たわる何かを明らかにしたり、自信に変える努力が明るい方向へ導いていくのではないでしょうか。
欠点は誰しもが持っているものです、それとうまく付き合っていく努力をしましょう。
人間関係において認識しておくべきもの
私たちは、人生で直面するどんな状況にも賢く対処する能力と、自分自身を望みどおりの人間に創り上げるために使うことができる、変容と再生のためのしくみを自分の内面に持っています。
私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、さまざまな環境や、現象を創り上げている法則をみずからの手で発見したときから、私たちは自分自身の意識的な主人になります。
でも、私たちがそうなるためには、「原因と結果の法則」をはっきりと認識しなければなりません。
そしてその認識は、みずからの試みと経験と分析によってのみもたらされます。
自分の人生環境において、日常的で些細な出来事をも含む、自分に起こるあらゆる体験の「原因」と「結果」を入念に分析したならば、「人間は自分の環境と運命の設計者である」別の言い方をすれば、「現われはすべて自分の心の影である」という真実に必ず行き着くことになるでしょう。
いままでの自分の思い、考え方に問題がなかったか、不正な思いや身勝手な考え方がなかったか、人を苦しめていなかったか、人生になにが大切かなどを考察してみるのです。
この考察作業こそ自分を高めていく自己啓発の道なのです。
人間関係において最重要事項はいったい何か!?
人生の失敗を通してわかってきたのは、人間関係で何が最も大切なことかと言えば人を認めるということだったのです。
人はどうしても自分の価値基準ですべてを判断します。
その自分の基準であの人はダメ、あの人はいいとか決めつけがちです。
これが人間関係では大変な間違いだったのです。
ダメな人と見られた人の立場に立って見てみますと、自分をダメな人間と見る人と、心からのいい関係が築けるはずがありません。
自分がその人をどう思っているか、私の心の中などわからないという思いでいますが、人間関係ではそれがくせものなのです。
確実に二人の関係に影を落とします。
その人がダメかどうかは、ある方向の働きに対しては判断できることかも知れませんが、その人の全てを神ならぬ身が知る由もありません。
自分の方がある面での仕事はその人より優れていても、もしかしたら親孝行などは自分よりその人の方が立派であるかも知れないのです。
私たちは人の評価を軽率、短絡にし過ぎているように思います。
いえ、私だけかも知れませんが。
人間関係においては "その人を認める" ことは、その人に何か魅力を見つけれなければ困難なことですが、
認めることによって接し方も変わり根強い信頼関係がうまれます
人間関係をうまく構築できない人
心が交流するということは人を受け入れるということですから、自己防衛機制を頻繁に働かす人は自分を受け入れてもらうことばかり考えていて、人を素直に受け入れようとしませんから表面的な人づき合いしかできません。
人との心の交流が出来ないと、独りよがりになり、客観的にものごとが見えなくなります。
そのくせ屁理屈はとても上手になります。
そして生き生きとしたこの素晴しい世界に心が感動しなくなり、ケイタイの世界などにばかり興味を持つようになります。
ひどくなると自然の花を見ても写真のようにしか心に入ってきません。
食事の味も微妙な味わいはわからなくなります。
会話の能力も失われていきますので、独りよがりの結論を押し付けたりします。
人間関係にとって何よりも大切なのは、素直に人を受け入れることです。
人との会話の中で自分に不利なことを受け入れる心のゆとりがない人とも言えます。
自分に不利になりそうだとすぐに言い訳を考えますから、幅広くものごとを考える能力が育ちません。
思考能力が短絡化します。
ものごとを深く話し合って解決を図るという段階に行かないで、話し合いの前に壁を作ってしまいますから、深い心の交流は生まれません。
こうして人と意思の疎通がうまく出来なくなり、人間関係がダメになります。
人生において現われてくる出来事や、人間関係は『類は類を呼ぶ』という心の法則に従って現われると言われています。
自分の起した心の波がそれと同じような波長の出来事や人を引きつけることになります。
自分が人と衝突する心の波を起すから、車や何かで衝突事故を起したり、巻き込まれたりするわけです。
|